雑談 (kentnkmr)
社会関係を確かめ合っていない
そもそも社会関係を確かめ合う的な目的(社会的目的?)があったのか、と目から鱗sta.icon
僕は雑談も情報交換だと捉えていた
が、自覚がないだけで、僕も確かめ合っているのだろうな
仕事でも「社会的目的を排除して、もっと情報交換を自由かつ密に(もちろん疎でいい人はそうすればいい)にやれるようにしよう!」というスタンスで啓蒙しているのだが全然響かない
社会的目的を排除してはいけないのかもしれないなーと思い直している
雑談は間主観的な感覚を得る行為みたいな言い方をしますねmtane0412.icon
雑談の構成的な理解に向けて
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900024613/KJ00004297134.pdf
ここの対馬の村の寄り合いの観察がいい例
shokaiも会議は「合意を形成しているだけ」みたいなことを言っていて正しいと思う
雑談 (kentnkmr)と、井戸端の雑談や仲の良い友人との雑談は、同じ言葉を使っているけど別の活動の感覚があるblu3mo.icon
後者は、雑談 (kentnkmr)#63a11a09b8bbfc00008aca79の「雑談しないと言うチョイス」に問題がないのが特徴な気がする
井戸端だと社会関係を確かめ合う気がないし、仲の良い友人とは社会関係をすでに確かめ終えている?
(「社会関係を確かめ合う」という表現が曖昧だな)
雑談しないというチョイスも社会関係への姿勢を表明してしまうはるひ.icon
これがだるい
知ってる人と同じ場に居合わせたら、近寄るか居る方向を向き話しかけにいくか否か
ここで笑顔で会釈でもしてスルーできたら最高だと思っているはるひ.icon
外で知り合いとすれ違っても気付かないふりをするというようなことは誰しもあるのでは
対面でボードゲームやるときのアイスブレイク時にこの雑談観を感じるcFQ2f7LRuLYP.icon
アイスブレイクのゲームが死ぬほど面白いからやるわけではない
確認の儀式をしている感
こちらはコミュニケーションする意志があります。あなたにもありますか?
それはそれとしてどういうゲームが好きそうなのかをそっと探る機会でもある
大喜利系にはあまり乗ってこないな、じゃあメインは別の方が良さそうだな〜とか
ロビン・ダンバーも言語を社会的毛づくろいの一つと捉えていたmtane0412.icon
キャッチボールという表現もあるが、的を得ている(射ている?小人さん任せた)のかもしれないsta.icon